補足|教育現場における「思考の委譲」への警鐘
教育の目的は、知識を与えることではない。「問い続ける力」を育てることにこそ、本質がある。
だが今、AIが宿題の解答を作り、読書感想文を書き、論文の構成まで整えてしまう時代に突入している。
教師が求めるのは「自分の言葉」だが、生徒が提出するのは「誰かの生成物」である。
その裏にある危機とは、「自分で考える」プロセスを体験する機会が静かに失われていくことだ。
思考は、苦しみを伴う営みである。しかし、それを経験しない者は、やがて「正解を待つ人間」になってしまう。
学校教育においてAIを導入するのであれば、その前に明確な使用の境界線と思想の育成が必要だ。
便利さを優先するあまり、「考える力」を奪ってはならない。
教育とは、本来「問いを引き出す場」であるという原点を、今こそ再確認すべきである。
補足|企業における「責任と判断の外注化」への警鐘
ビジネスの現場においても、AIは不可欠な存在となりつつある。
業務効率化、戦略立案、意思決定支援──その恩恵は疑いようがない。
だが、「それはAIが導き出した判断です」という言葉が口にされた瞬間、組織は一つの境界を越える。
判断の責任をAIに委ねた企業は、やがて「自らの意思を持たない集団」へと変質していく。
それは責任の外注化であり、最も避けるべき企業文化の腐食である。
最終判断を下すのは人間であるべきだ。
AIはあくまで道具であり、「意思決定を下す主体」は人間でなければならない。
効率と最適化の裏に、人間の「判断力」と「倫理観」が失われていく──
その兆候に、今こそ目を向けなければならない。