第3章:思考停止と劣化のスパイラル
判断をAIに委ね続けた人間は、やがて「考えなくても問題がない」という状態に慣れていく。
それどころか、「考えることが面倒だ」とすら感じ始めるようになる。
こうして人は、思考を停止したまま日々の選択をAIに委ねていく。
だが、考えないことに慣れた脳は、確実に”鈍って”いく。
最初は少しの判断に時間がかかる程度だったものが、次第に「自分で決めること」が重荷になっていく。
これは退化ではない。自ら望んだ劣化である。
AIは常に「最適解」を返す。
しかし、人間の世界においては、必ずしも最適が正解とは限らない。
文脈、感情、背景、空気──それらを含めてこそ「人の判断」が存在していたのだ。
AIの回答に依存するということは、「なぜそう考えるか」を自分で持たなくなるということだ。
これは知識の欠落ではない。
「思考の過程そのもの」を放棄するという、より深刻な症状である。
結果として、人は問いを立てる力を失う。
AIに正解を尋ねることはできても、自分で問いを立て、試行錯誤し、仮説を組み立てる力は徐々に衰える。
思考の筋力は、鍛えなければ確実に衰退する。
この劣化は静かに進行する。
本人に自覚がないまま、AIの提案に従うだけの”優等生”になっていく。
自分の言葉を失い、自分の問いを失い、やがて”自分”すらあいまいになる。
AIを活用することと、AIに思考を委ねることは違う。
その違いを見失ったとき、人は”考える人間”から”指示待ち装置”へと変わっていく。
自分で考えるという行為を、誰にも奪わせてはならない。