第2章:判断を委ねるようになる
AIに依存し始めた人間は、次第に「判断すること」そのものを避けるようになる。
最初は補助だったものが、気づけば決定権を握っている。
「何を食べるか」「どのルートで行くか」「どの商品がいいか」──日常の判断を、すべてAIに委ねていく。
そのうち、選ぶことに不安を感じるようになる。
「自分で決めて間違えたらどうしよう」
「AIの方が正しいはずだ」
そう考え始めた瞬間、人は「自分の意志よりもAIの提案を信じる」という立場に移行する。
判断とは、本来、責任を伴う行為である。
決断とは、リスクを引き受ける勇気である。
だが、AIを頼ることで「正解を選ぶ」という感覚が強くなり、「間違いを恐れず選ぶ」という姿勢が失われていく。
AIの提案が絶対だという錯覚は、人間を「決断から解放された存在」に変えていく。
誰かが決めてくれるなら、自分は従っているだけでいい──そんな感覚が浸透すれば、もはや「選ぶ主体」ではなくなる。
そして問題は、「それが楽だ」と気づいてしまうことだ。
考えずに済む。責任を負わなくて済む。自分の意志が問われない。
この「快適さ」こそが、AI依存の深層にある最大の罠である。
判断を委ねることは、責任を手放すことであり、存在の重さを手放すことでもある。
そうなれば、人は情報の通過点にすぎなくなる。
そこに自我はなく、主体性もない。ただ流されるだけの存在である。
判断を他者に任せることで、人は一時的な安心を得るかもしれない。
だが、その代償として、人間であることの本質を失っていく。
AIが何を選ぶかではなく、自分が何を選ぶか──そこにこそ、人間の尊厳は宿る。