――AI禁止する前に、“ほんまに教えるべきこと”ってなんやろ?
「先生、読書感想文できました!ChatGPTにやってもらいました!」
…そんな一言に、先生の顔がピキッとなった、らしい。
そらまあ、「ズルしてるやん!」って思う気持ちも、ようわかる。
けどな、「AI使ったらアカン!」って禁止する前に、
ちょっと立ち止まって考えてみてほしいんや。
それってほんまに“ズル”なんか?
AIが文章つくったら、もう「本人の思考ちゃう」って決めつけてええんか?
感想文って、そもそも「思ってることを書く」練習のはずやろ?
AIを使う=考えてへん、ってほんまに言いきれるんかいな?
🤔AIを使うこと自体が問題なんか?
学校の先生が「感想文は自分で書きなさい」って言うのは当然やし、
誠実さを大事にする姿勢もめっちゃ大切や。
でもやな、たとえばこんなケース、どない思う?
● Aくんの場合
「本を読んで、こんな感想持った。でも文章にするのが難しい」
→ ChatGPTに「こういう感想なんやけど…」と打ち込んでみる
→ 出てきた文章を見て「なるほど、こんな表現あるんか」と学ぶ
● Bくんの場合
「めんどくさいし、AIに丸投げしたろ」
→ 出てきた文章をそのまま提出。本人は読んでもない。
このAくんとBくん、同じ「AI使った」でも、
中身はぜんっぜん違うやろ?
つまり、“AIを使ったかどうか”やなくて、
どう使ったか、どんな姿勢で向き合ったかが問題なんや。
📏評価のズレと問いの立て方
感想文って「ちゃんと書けてるか」より、
**「心が動いたか」**を見たいもんやのに、
評価が“構成”とか“言い回し”に偏ってへんか?
今のままやと、
AIどころか「テンプレ感想文」が一番評価されるという、
なんとも皮肉な現象が起きてもうてる。
🧠ほんまに変えるべきは「禁止」やなくて「問い」
AIを禁止したら、たしかに“ズル”は減るかもしれへん。
でも、それで**「考える力」って育つんか?**って話や。
せやからこそ、「AI使った?」じゃなくて、
「どこが自分の考え?」「AIから学んだことある?」みたいな
**“問いのデザイン”**を変えていく必要があるんちゃうやろか。
👉 AIとの付き合い方に迷ったときは、次の記事もおすすめです。